![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi7PAO5im02EdT6b5mZe2hGEPrBrpU-UaRMB6HUryUILvoDZykypIN0mRQas29hxVkbujkWjL8zrmwPNvUdEUsEo6hn4E8YyPh1XJyxOAETG5wXSP6q-XZBoPGgW8s4vzXujiE7G07T6yRR/s400/CameraZOOM-20170427103421803.jpg) |
柴又街道京成小岩踏切 |
目次
前回の境川親水公園~新中川では、川に沿って区境があったことから、あまり苦労せずたどれたのですが、今回はなかなかたどることができませんでした。
赤いところが葛飾区です。
区境がギザギザ。
どんな示し合わせがあって、この区境になったんでしょうねぇ。
というわけで、今回は区境をたどることは、なかばあきらめ。
でも、歴史をたどると、なかなか面白い土地でしたので、紹介しますね。
江戸川区の土地整理事業(昭和14年)
![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiqZgatz3FnboxUiTk4-3_xh1IxAJXw3u_cRFkWEc_gUUS87_1QpsD1fu936-03JoiwJIwUroZP9wfGeP22UTYSr-TMHYxuunErc9dx_HmkPI0zF-NHmGf-UUHni_ISb8sffp8UlFlVlEI7/s320/1920.jpg) |
1920年代 |
1920年(昭和10年)ごろの、細田・鎌倉地区です。
総武線も開通しており、小岩の駅もあるものの、駅の周りは見渡す限りの田畑です。
おそらく平らな土地でしたから、北の方を見渡せば、きっと帝釈天のほうまで見えたのではないでしょうか。
![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj9HecX1WSNnd3257yxHmAoR4h8gVt8YcVA7PdJK5cJnttVMxrY-YubRmUm97Y85Qr8koT9IXKfhOKV-3OUdjZAdK6Fo6PB6SVbq5Bzu6LJ1cWqL5y4MzdcbYRd05tGloon6WS2GmfxsGIc/s320/1930.jpg) |
1939年 |
そんな小岩周辺も、1939年(昭和14年)になると、区画が一変します。
総武線、京成線の沿線を中心に、区画が整理されていますね。
駅開業
駅周辺商店会結成
駅周辺耕地整理事業
江戸川区のホームページをみると、「昭和10年から昭和14年:駅周辺耕地整理事業」とありますね。
この時期にきれいになっているのですね。
いっぽうの葛飾区は
1939年の地図をもう一度見てみましょう。
境界線を描いてみました。
都市計画がされているのが江戸川区、まだ計画がされていないのが葛飾区です。
昔の地図を見る限り、葛飾区に都市計画が導入されたのは戦後のようです。
というのも、明治時代の葛飾区は、鎌倉、奥戸、細田、曲金(高砂)など集落が点在しており、都市計画がしづらかったのに対し、江戸川区は小岩村以外に街道沿いの大きな集落が少なく、区割りがしやすかったのではないかと思っています。