OTOKATSURADIO
オトカツの日常(SINCE2015)
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センキョ割@葛飾2017
月刊誌AngleへのTribute
かつしかFM「すだみきのきみだす」
「東京23区格差」のウラ側〜足立・葛飾・江戸川「下町三兄弟」
オトカツ500記事目をむかえて
葛飾の一丁目一番地はここ
ブログ掲載店を中心にプロット
引用:「東京23区格差」のウラ側
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2020年6月12日金曜日
【大人の一丁目一番地】ブログが本になりました。『葛飾の一丁目一番地を歩く』
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このブログから本(DTP)が出ました! 葛飾に30箇所ある一丁目一番地をめぐり、その土地のエピソードをまとめた『葛飾の一丁目一番地を歩く』。 Amazonの電子書籍Kindleで299円です。 葛飾の魅力再発見! 30箇所は少ないように見えますが、仕事の合間に全部を...
2016年12月30日金曜日
[大人の一丁目一番地(30)] 一丁目一番地は最終回。立石1-1に行ってきたよ。
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さて、大人の一丁目一番地は最終回です。 最近は駅周辺の再開発やセンベロブームで有名になっている立石ですが、歴史が深くまた歴史に流されてきた町でもあります。 立石駅の南側には奥戸街道が東西に通っていますが、この道は古墳時代の頃より古東海道と呼ばれ、浅草あた...
2016年11月25日金曜日
[大人の一丁目一番地(29)] 柴又1-1に行ってきたよ。京成金町線は京成電鉄創業の路線だった。
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今回は、柴又一丁目一番地に行ってきました。 柴又1-1はもっと金町寄りか帝釈天のそばにあるのかな?と思っていましたが、意外にも京成高砂の車両検査区のそばでした。 柴又については帝釈天を中心に話題は尽きないのですが、今日は京成金町線のおはなし。 ...
2016年11月23日水曜日
[大人の一丁目一番地(28)] 亀有1丁目1番地に行ってきたよ。大工業地帯から大変貌の街
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今回の一丁目一番地は、亀有です。 亀有は、金町と並んで葛飾北部の中心地的存在ですね。 亀有1-1は、意外にも駅から遠いところにありました。 なんでここなんでしょうねぇ。 閑話休題 亀有駅の乗降客数も長い間(30年間以上)一日の乗降客...
2016年11月17日木曜日
[大人の一丁目一番地 (27)] 東水元一丁目一番地に行ってきたよ。戦後しばらくまでは水元地域最大の住宅密集地
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今回は東水元一丁目に行ってきました。 このエリアも住居表示がほとんどなく、トップ画像も交差点の写真となってしまいました。 地図にあるように、東水元は水元公園の西側に南北にながーい街です。 トップ画像の東水元1-1は、一番南の金町駅よりの南...
2016年11月12日土曜日
[大人の一丁目一番地(26)] 宝町1丁目1番地に行ってきたよ。宝町にはアノ経営者も修徳高校出身のプロ野球選手もいた。
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今回の一丁目一番地は、宝町です。 「宝町」というと、都営浅草線の宝町駅を思い浮かべる人もいると思いますが、葛飾で宝町といえばココ。 現在の京成本線お花茶屋駅の南に広がる 宝町の地名は以前、「宝木塚」という場所でした。 西光寺を中心として、...
2016年10月26日水曜日
[大人の一丁目一番地(25)] 水元1-1に行ってきたよ。葛飾区指定有形文化財「水元尋常小学校旧校舎」をみる。
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葛飾区水元1-1に行ってきました。 水元地域のど真ん中。葛飾区水元は、三角の土地です。 水元一丁目一番地は、この三角形の左下の角にあります。 水元は、他の葛飾区の大部分と同じく、江戸時代以降は広い田んぼの広がる農村地帯でした。 とく...
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2016年10月13日木曜日
[大人の一丁目一番地(24)] 東堀切1-1に行って来たよ。明治時代の南綾瀬村は陸前浜街道とともにあった。
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今回は、東堀切1丁目1番地に行ってきました。 現在はとても静かな住宅街ですね。 この辺りは、明治時代まで「南綾瀬村」でした。 南綾瀬村は広大でした。 明治時代は(おそらく)住民も大きく増えていないのに、村の合併を行っており、南綾瀬村も「...
2016年9月24日土曜日
[大人の一丁目一番地(23)] 四ツ木1-1に行ってきたよ。一ツ木、二ツ木、三ツ木、そして四つ木!
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今回は四つ木1-1です。 小菅、堀切、四つ木、東四つ木、西新小岩など、葛飾区の荒川沿いは、荒川の開拓で村がなくなったり、人の流れが変わってしまったりした歴史を持ちます。 東四つ木の木根川薬師が移転したことなどが象徴的ですね。 ■「一つ木」から「九つ...
2016年9月21日水曜日
[大人の一丁目一番地(22)] 白鳥1-1に行って来たよ。あの「賀登利庵」さんだったとは!
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今回は白鳥1-1です。 電柱が地下に埋まっている最近の街は、住所表記がなくて一苦労。 白鳥1-1は、お花茶屋駅前の東京東信用金庫の白鳥支店のあたりだろうと目をつけていたのですが、ココは1-2。 うろうろしながら見つけた1-1は、もうちょっ...
2016年9月20日火曜日
[大人の一丁目一番地(21)] 高砂1-1に行ってきたよ。ここはかつて諏訪野と呼ばれた土地。
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今回は、高砂一丁目一番地に行ってきました。 高砂一丁目は、この地図にあるように、まさに中川と新中川の分岐部分に位置しています。 写真の高砂1-1は、スポーツセンターエイトホールの向かい側。 住所表記こそありませんでしたが、...
2016年9月14日水曜日
[大人の一丁目一番地(20)] 西亀有1-1を歩いてきたよ。陸前浜街道に賑わった街
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今回は西亀有1-1に行ってきました。 西亀有は、裕福なエリアだったと思います。 大きな家が多く、区画も広い。 もちろん農家が多かったはずですが、このエリアはほかの葛飾とちょっと違います。 理由は、おそらく、陸前浜街道にあったと思います。 ...
2016年9月5日月曜日
[大人の一丁目一番地(19)] 小菅1-1に行ってきたよ。日本で最初の小学校は小菅にある。
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今回の一丁目一番地は、小菅1-1です。 小菅といえば東京拘置所ですね。 Wikipediaより 東京拘置所も確かに「小菅1丁目」なのですが、住所は小菅1-35でした。 さて、小菅1-1は、トップ画像にあるように「国土...
2016年8月30日火曜日
[大人の一丁目一番地(18)] 堀切1丁目1番地に行ってきたよ。大正初期まで、ちょっとしたピクニックの目的地
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今回は、堀切1丁目1番地です。 堀切という住所表記は広いですね。 現在でも、南に四つ木、北に足立区と接する南北に広い地域です。 しかし荒川の向こうには、東武線の堀切駅があるぐらいですから、荒川が開通する大正初期にはかなり広い土地を指していたので...
2016年8月25日木曜日
[大人の一丁目一番地(17)] 東金町1-1に行ってきたよ。東金町は、今も昔も再開発のどまんなか。江戸時代には、金町に関所があったんだね。
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今回は、東金町1-1に行ってきました。 なかなか場所がわからなかったのですが、それもそのはず。東金町1丁目1番地は、再開発されてマンション「プラウドシティ金町アベニュー」となっています。 このシリーズ、なんどか住所表記のない回があ...
2016年8月8日月曜日
[大人の一丁目一番地(16)] 新宿(にいじゅく)1-1に行ってきたよ。ここは常磐線が通るまでの交通の要所。道中奉行が支配した新宿に栄華を見る。
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今回は新宿です。 中川の東岸からの水戸街道の南北、そして常磐線の北側現在の東京理科大学周辺あたりまでのエリアを指します。 新宿は、葛飾区唯一の宿場町。 江戸時代には「陸前浜街道」の宿場町であり、「水戸佐倉道」との分岐点でもありまし...
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