2016年9月30日金曜日

[大人の亀有] 吉田うどんが都内で食べられる貴重なお店「五葵」にいってきた。

今回は、亀有で吉田うどんを食べてきました。


吉田うどんとは、富士吉田周辺で食べられてきた郷土料理的なうどんです。


この吉田うどん、都内で食べれるお店が5,6店舗しかないようで、そのうちの一店舗が亀有にあります。




お店の名前を、五葵(いつき)といいます。


食べログなどでは、亀有駅となっていますが、駅からはちょっと遠いです。亀有駅と綾瀬駅の中間と言ったほうが正しいです。


葛飾の方でしたら、農産高校の近く、と言ったほうがわかりやすいと思います。



お店は、住宅街の中に突然現れます。


ちょうどお昼の開店前に行ったのですが、入店待ちの行列があり、それで場所がはっきりしました。


お店の中はカウンター5,6席と小上がりのお座敷。




オーダーは、テーブルにある注文票に書き込むスタイル。


うどんの麺には黒と白があります。


黒は吉田うどん、白は讃岐うどん。


いい忘れましたが、吉田うどんは「硬い」です。


上顎と舌で噛み切ろうとしてもムリです。


太さも直径10ミリ弱ぐらいはあります。それが硬いんです。


歯でしっかり噛まないと、噛みきれませんし、飲み込めません。


本気で噛むうどんです。


で、このお店では、本気で噛む硬さの吉田うどんと、柔らかいのどごしの讃岐うどんを用意しています。



今回のオーダーは、吉田うどんで「本鴨汁つけうどん」にしました。


麺はもちろん太め。かたい。


左の皿の上部にあるのは鰹節です。


青い野菜は茹できゃべつ。これは吉田うどんでは定番のようですね。



つけ汁は、やや濃い目の鴨汁。


初回でしたので、うどんと鰹節とゆでキャベツをどんなバランスで食べていいのか、別々に食べるのか、迷いましたが、試行錯誤の結果、左の皿の麺と鰹節ときゃべつを混ぜて、一緒につけ汁につけて食べました。



なにしろ硬いんです。


また一本が長いんです。


思った以上に食べるのに時間がかかります。


でもいままでうどんをこんなに噛んで食べたことはなかった。。。


硬いうどんをベースに、かつお節やつけ汁の味をしっかりと堪能できる。


いままで食べてきたうどんとは、異次元の食感でした。

五葵

03-6321-5797
11:30~14:30  
17:30~21:00(20:30L.O)
日曜営業 定休日/第1木曜、第2・第4日曜、第3・第5木曜日夜

2016年9月29日木曜日

[大人の新小岩] やっと季節が変わってきたので、「新日本料理 翠祥」で秋の味覚を楽しんできました。


今回は、新小岩新日本料理「翠祥」です。


日本料理らしく、お店を訪れるたびにメニューにはその季節のものがならびます。


この夏は、暑い暑いと言われた割にはなんとなく終わりに近づいて来ているような気がします。


一段涼しくなった先週末、「翠祥」で秋の味覚を楽しんできました。



新小岩駅北口から、平和橋通りを堀切方面へ10分弱。


外観

大きな一枚板の看板とともに「翠祥」のお店が見えてきます。


今日は、メニューから四品、秋の味を選んでみました。



秋といえば秋刀魚、ですよね。


秋刀魚を炭火で焼いたりしたらうまいのですが、ここは翠祥、秋刀魚の刺身をいただきました。


おろした生姜とともにちょっとだけ醤油をつけて口に運ぶと、あぶらののった秋刀魚の味が口いっぱいに広がります。


二品目は、松茸の炭火焼き。


薫りも立つ松茸も炭火を通してとても香ばしい味になっています。



三品目は、「蓮根と車海老の湯葉巻き巻き揚げ」。

海老の優しい食感とあんかけのぬくもりがなんともいえず、幸せな味です。



そして四品目は、たたき牛蒡の唐揚げ。

ごぼうのやわらかいこと。

きれいに軽く揚がっていますので、食べやすくビールに合う合う!


いつも期待を裏切らないハイレベルな料理がリーズナブルにいただける新日本料理「翠祥」さん。

また伺いますね。


新日本料理 翠祥
ジャンル:小料理
アクセス:JR総武本線(東京-銚子)新小岩駅北口 徒歩9分
住所:〒124-0023 東京都葛飾区東新小岩5-14-1 サカエコーポ106(地図

周辺のお店:ぐるなびぐるなび 新小岩×小料理
情報掲載日:2016年9月28日

新日本料理 翠祥割烹・小料理 / 新小岩駅
夜総合点★★★★★ 5.0

2016年9月24日土曜日

[大人の一丁目一番地(23)] 四ツ木1-1に行ってきたよ。一ツ木、二ツ木、三ツ木、そして四つ木!


今回は四つ木1-1です。


小菅、堀切、四つ木、東四つ木、西新小岩など、葛飾区の荒川沿いは、荒川の開拓で村がなくなったり、人の流れが変わってしまったりした歴史を持ちます。


東四つ木の木根川薬師が移転したことなどが象徴的ですね。

■「一つ木」から「九つ木」まであるの?

「四つ木」というくらいですから、1~9まであるのかなぁ?と調べてみました。

刈谷市一ツ木:トヨタ自動車のおひざもと

松戸市二ツ木:常磐線馬橋駅のちかく

武蔵村山市三ツ木:狭山湖のちかく

葛飾区四つ木

熊本県球磨郡五木村:ごぞんじ五木の子守唄

足立区六木:葛飾区のすぐ横

7はありません

栃木県芳賀郡八ツ木:宇都宮駅から20キロ

9はありません



■京成四ツ木駅といえば

以前、「荒川開墾の頃の四ツ木駅と京成線の線路は今と場所が違う」というブログを書きました。記事はこちら

1917年

現在道路となっていて、新小52系統などが通る道になっているところが、以前は京成の線路だったようですね。

星印が昔四ツ木駅のあった場所


しかし戦後、セルロイドなどの工場が増えたのも、荒川の水運があったからだと思いますし、いろいろな意味で四つ木は荒川の開墾の影響受けている街ですね。

2016年9月21日水曜日

[大人の一丁目一番地(22)] 白鳥1-1に行って来たよ。あの「賀登利庵」さんだったとは!




今回は白鳥1-1です。


電柱が地下に埋まっている最近の街は、住所表記がなくて一苦労。


白鳥1-1は、お花茶屋駅前の東京東信用金庫の白鳥支店のあたりだろうと目をつけていたのですが、ココは1-2。



うろうろしながら見つけた1-1は、もうちょっと四つ木の方に降りた「賀登利庵」さんのあたりでした。




賀登利庵」さんについては、以前記事にしていますのでそちらもご覧になってください。



曳舟川は江戸の初期には、本所周辺に上水を提供するための川でしたが、水量が安定しないことから、江戸後半には田畑の用水や川の名前の由来ともなっている曳舟による物資輸送の川となっています。


この絵にもあるように、白鳥一帯は他の葛飾同様田畑でしたが、沼があったようですね。


古地図では確認できないのですが、いまの白鳥小学校から四ツ木斎場あたりまで、沼地だったみたいです。


そこに白鳥が群棲していたことから、この地を白鳥と呼ぶようになったとか。


をを、ちょっと優雅なおはなしですな。

朝日新聞デジタルより

四つ木の白鬚神社には、鷹狩の際白鳥を仕留めた絵馬が奉納されています。



2016年9月20日火曜日

[大人の一丁目一番地(21)] 高砂1-1に行ってきたよ。ここはかつて諏訪野と呼ばれた土地。


今回は、高砂一丁目一番地に行ってきました。



高砂一丁目は、この地図にあるように、まさに中川と新中川の分岐部分に位置しています。



写真の高砂1-1は、スポーツセンターエイトホールの向かい側。


住所表記こそありませんでしたが、ココが1-1のようです。




「葛飾コンテナ中継所」?


ここでは葛飾区のゴミを集めて、焼却施設に持ち込む前に積み替える場所ですね。


環七も通っていて、川の分岐点で離れ小島的な要素も持ち合わせていますので、ゴミの処理には持ってこいかもしれません。


高砂一丁目は、昔は諏訪野という地名でした。


現在でも諏訪野熊野神社として地名が残っています。


高砂の地は、以前は曲金(まがりかね)と呼ばれていましたが、葛飾区が東京都に編入された頃には、謡曲からとったおめでたい高砂という地名になっています。


諏訪野の地は、この曲金と地続きであったのですが、時代とともにその位置づけが変わってきます。


中川の氾濫対策から、1964年に新中川が開通し、諏訪野は高砂とは地続きではなくなります。


どうじに、現在のエイトホール周辺が中川の洲となっており沼地であったことから、その干拓工事もはじまります。


このころの諏訪野は、ほとんど島ですね。


その後、干拓が進みスポーツセンターとして整備されるとともに、諏訪野には南北に環七が完成することとなります(1985年)。


これらにより、高砂一丁目は、他の高砂とは違った歩みをしていくわけです。

2016年9月18日日曜日

[大人の葛飾有名人] 女優小林聡美さんは高砂中学、篠崎高校

LAUGHLYより
1965年生まれ。


高砂中学出身なんですね〜



1979年〜80年に『三年B組金八先生第1シリーズ』に出演


ということは、実際の中学生時代に出演していたのですね。

同じ第1シリーズに出演した、杉田かおる、鶴見辰吾、三原じゅん子、近藤真彦などがいずれも1964年生まれなのですが、小林聡美は1年後輩ですね。

余談ですが、金八先生のシリーズでは、葛飾小学や葛飾野高校が使われています。


1982年『転校生』


大林宣彦監督の「尾道三部作」のひとつ。神社の石段を転げ落ちると、男女が入れ替わってたなんて斬新なシチュエーションでしたね。この映画で小林聡美は日本アカデミー賞を受賞しています。


1988年『やっぱり猫が好き』


もたいまさこ、室井滋との三姉妹+猫しか出てこないシチュエーション・コメディ。


1995年脚本家三谷幸喜と結婚、2011年離婚

三谷幸喜は言うまでもなく「真田丸」脚本のみならず、「古畑任三郎」や「王様のレストラン」などのヒット作を手掛ける脚本家ですが、売れる前はサザエさんの脚本を書いていたこともあったとか。


これからも活躍を期待しています。

2016年9月14日水曜日

[大人の一丁目一番地(20)] 西亀有1-1を歩いてきたよ。陸前浜街道に賑わった街


今回は西亀有1-1に行ってきました。


西亀有は、裕福なエリアだったと思います。


大きな家が多く、区画も広い。


もちろん農家が多かったはずですが、このエリアはほかの葛飾とちょっと違います。


理由は、おそらく、陸前浜街道にあったと思います。



陸前浜街道とは、現在の水戸街道。


千住の宿場を起点として、現在の常磐線沿いを水戸に抜け、そのまま海沿いを仙台まで続いていく陸前浜街道。

スカイツリーから一直線に金町駅前に通じる今の水戸街道と違い、人が歩く水戸街道はもっと北寄りにクネクネしていました。



左の地図が明治末期の陸前浜街道です。


千住の宿から新宿の宿まで約5キロ。


その中間地点にある西亀有近辺は、そのころ砂原、千葉という地名でしたが、宿場こそないものの、人通りのおおい街道筋として、物販や休憩所などで栄えていたものと思われます。


折しも江戸時代の新宿の宿場は、水戸徳川家に通じる街道だったこともあり、交通量は少なくありません。


茨城や房総半島の海産物が江戸に運ばれる主要ルートでもあり、途中西亀有で農産物と交換されたことも容易に考えられます。


葛飾のほとんどがかつては農地でしたが、この陸前浜街道沿いの街では商業的要素も加わって、他のエリアより裕福に過ごしていたのかもしれません。

2016年9月8日木曜日

[大人の堀切] 駅の近くなのに隠れ家のような「手打ちそば人と木」



今回は、堀切菖蒲園駅近くの「人と木」です。

堀切菖蒲園駅改札前にある平和橋通りの雑踏に背を向けるように歩くとほどなく「手打ち蕎麦人と木」が見えてきます。




見えてくる、のですが、住宅街に入ったところのお店で、店構えも控えめなことから、初回にはわかりづらいかもしれません。


しかしその「隠れ家感」がなんともいえず、お店の雰囲気を作っています。


中はけっして広くありません。


全部でテーブルが5,6卓。一度に座れる人数は20人に満たないぐらい。


女将さん、一人でフロアを切り盛りしています。


ここの女将さんはステキです。


けっしてしょっちゅう訪れる客ではないのですが、私の名前や注文したものをきちんと覚えてくれています。


こういうお店には自然と足がむいちゃいますよね。


いつも頼む日本酒まで覚えてくれています。



ここに来たら、いつも天せいろです。


きれいな油で上品に揚がった天ぷらと、丁寧に打たれたお蕎麦が絶品。



天ぷらは、海老やナスなどの野菜、キス。


ひとつづつほんとうに綺麗に揚がっています。


これがまた日本酒にあう。


おいしいお蕎麦は味わうためにあるお蕎麦。


ほんの二三本だけを箸でつまみ上げて、口の中で味わうと、蕎麦の味が広がります。


これがまた日本酒にあう。


残暑が厳しい今だからこそ、お蕎麦に冷たい日本酒がおいしいですね。

手打ち蕎麦 人と木
ジャンル:そば
アクセス:京成本線堀切菖蒲園駅 徒歩1分
住所:〒124-0006 東京都葛飾区堀切5-2-8(地図


周辺のお店のネット予約:
Italian Dining Vittoria 北千住店のコース一覧
居酒屋 あじさいのコース一覧
美豚 本店のコース一覧
周辺のお店:ぐるなびぐるなび 亀有・青砥×そば
情報掲載日:2016年9月8日

2016年9月7日水曜日

[大人の中川] 中川っていいな〜。いつ見ても飽きない川。



この夏に撮影してきた中川の風景をスライドにまとめてみました。


スタートすると音が出ますので気をつけてください。



今年はゴールデンウィーク明けぐらいから、青砥駅までチャリで通勤しています。


途中、森永の工場裏から、中川奥戸展望デッキを通り、本奥戸橋を渡って行きます。


この中川奥戸展望デッキは、中川テラスが設置されたときに「スカイツリーも富士山もハープ橋も東京タワーも見える」絶好の位置に作られたデッキです。



残念ながら、平和橋のほとりにマンションができてしまい、いまは富士山は見えません。


しかしながら、朝に夕に晩に、このデッキから見渡せる景色は、滔々と流れる中川、広い空と相まって、なんだかホッとした気持ちになります。


是非皆さんも一度訪れてみてください。

2016年9月5日月曜日

[大人の一丁目一番地(19)] 小菅1-1に行ってきたよ。日本で最初の小学校は小菅にある。


今回の一丁目一番地は、小菅1-1です。


小菅といえば東京拘置所ですね。

Wikipediaより


東京拘置所も確かに「小菅1丁目」なのですが、住所は小菅1-35でした。



さて、小菅1-1は、トップ画像にあるように「国土交通省綾瀬排水機場」です。


綾瀬川と荒川土手の間にあります。


チャリで行くのに、ちょっと苦労しました。




ちょうど荒川が千住の方からカーブしてきて、綾瀬の方から降りてくる「綾瀬川」と並行し始めるところです。


ところで、綾瀬排水機場ってなにするところでしょうか。

排水機場は台風などの大雨のとき、中小河川の洪水をポンプにより江戸川などの大河川へ強制的に排水する目的を持っています。江戸川河川事務所では、7つの排水機場を運営管理していますが、なかでも首都圏外郭放水路、三郷放水路、綾瀬川放水路、坂川放水路に設置された排水機場は国内最大級の規模を誇ります。(江戸川河川事務所HP)
国内最大級ですって!

台風などの時は、この排水機を使って、綾瀬川が溢れないように中川へ押し出しているのですね。

この排水機場については、「[大人の堀切] “普段入れない”堀切菖蒲水門の内部をお見せします!~完成後20周年記念イベント~」にくわしいです。


日本最初の小学校


川に挟まれたこのエリアには、お寺が一つあります。

正覚寺といいます。




荒川の開墾、綾瀬川の整備にも耐えて、この地に残っています。



じつはこのお寺には小学校がありました。


日本で最初の小学校です。


時代は遡ること明治維新。


以前このブログでも記事にしたように、明治初頭にこの地に「小菅県」という県が置かれました。


県庁は今の東京拘置所のところです。


そして小菅県は、新政府の方針に従って、小学校を作りました。


それがこの正覚寺にあったわけです。


しかし明治4年には廃藩置県で小菅県はなくなり、明治6年には学制発布があったことから、この正覚寺の小学校は廃止となりました。



ちなみに、明治6年の新しい学制発布でできた小学校は「亀青小学校」や今の「新宿小学校」だったそうですよ。


こういう史跡は、区としてももっとアピールして欲しいですね。

2016年9月4日日曜日

[大人のこち亀] 休ます40年!連載終了お疲れ様でした。さて、これからの葛飾はどうしようか。



昨日、「こち亀連載終了」のニュースに驚いた人も多かったようです。



40年間休むことなく、それ以上にすごいのがネタが尽きることもなく、漫画を書き続けてきたエネルギーに敬意を評して、秋本さんにはおつかれさまでした、と伝えたいですね。


http://www.j-kochikame.com/arigatou/

こち亀のホームページには、秋本さんからのメッセージや相変わらず破天荒な4コマまんがなどが掲載されています。


葛飾の有名人って架空の人ばっかり?


知り合いに、「葛飾の有名人って架空の人ばっかり」と言われたことがあります。


寅さん、こち亀、キャプテン翼。


たしかに、この3人?は飛び抜けて有名ですね。


しかし、寅さんは1997年に終了し、今回こち亀も連載が終了します。


いつまでも、進行形じゃない有名人には頼れないのではないかと思っています。



この夏、小樽の「裕次郎記念館」が2017年に閉館するとのニュースがありました。


絶大な人気のあった実在の俳優さんでも、その記念館は長くは持たないようです。


もちろん、こち亀、寅さん、キャプテン翼は葛飾の財産ですので、今後も活用していくのがいいですね。


キャプテン翼CUPかつしか2016」などは、葛飾ならではの企画ですし、沢山の人に集まってもらえました。


しかしそろそろ、これらに頼らない新しい地元のエネルギーにスポットを当ててもいいのではないでしょうか。


葛飾ならではの、地元の人がワクワクするような、そして区外の人も来たくなっちゃう。


そんな区になれたらいいですね。

2016年9月2日金曜日

[大人の立石] 半村良「葛飾物語」にみる立石の生活


先日、作家半村良さんが、葛飾本田本町の出身であることを書きました(大人のかつしか有名人)。


調べていくうちに、半村良さんが「葛飾物語」という作品を書かれていましたので、読んでみました。


この本は、昭和18年からほぼ10年おきのある一家と親戚の変遷をたどる物語です。

立石そして葛飾

春野久子の夫、基夫の祥月命日に集まる一家とその親戚や近所に住む人々。


その場所は、本奥戸橋と立石の中間辺りだったようです。まさに半村良さんの育った場所ですね。


赤ん坊を背負った老人は、奥戸橋を背に坂道を下っていく。道の向こうに側に風呂屋があって、ちょうどの入り口と向き合う位置に、喜多向観音を祀った小さな社があり、そこで足を止めると軽く両手を合わせ、背中の子どもとひと揺すりして、また歩き始める。(中公文庫11ページ)

昭和18年の祥月命日には、みんなが集まって、泥鰌を食べる。


奥戸に、うさぎの毛で防寒着を作る工場があり肉を分けてくれていたようだが、この店は中川で捕れた泥鰌も売っていて、 久子一家は集まってどじょうを食べる。


昭和18年といえば、まだ本土への空襲はないものの、ガダルカナル島やアッツ島で米軍に敗れており、戦局は悪化していた。


しかし葛飾はまだ、食べ物にあまり困っている様子はない。


面白い記述がある。

葛飾にいる知り合いに、太郎という名のつくものはめったにいない。それもそのはず。生まれた家は別々でも、みな次、三男以下の余計者ばかりだ。それがなんとか自立しようと、縁を頼って集まってきて、いまこの家にいるような人間構成になっている。(中公文庫29〜30ページ)

どことなく、寅さんのイメージがないだろうか。


実際この物語にも、やくざ者、大家さん、戦争未亡人、住み込みで働く若者。いろんな事情の人たちが肩を寄せ合う。

もちろん葛飾にも長男はいるのだけれど、余裕のある長男は葛飾を出てしまうのだろう。残った者たちが肩を寄せあって毎日を楽しく生きていく。そんな原形が昔からあるのかもしれない。

空襲と高射砲


第二章「昭和二十年の場」には、空襲の話が出てくる。


葛飾区の空襲による被害は、昭和十九年十二月二十七日、二十年一月元旦、一月二十七日、一月二十九日、二月九日、二月十九日、二月二十五日、三月四日、そして三月十日と続き、四月十三日の夜間爆撃で途絶えた。(中公文庫54ページ)

思った以上に葛飾は空襲を受けていた。


青砥の工場、金町駅前の工場ぐらいではないかと考えていた。なにしろ、ほとんどが田畑だったはずだからだ。


まばらに家が密集していたかもしれないけど、爆撃する程の事はない気がしてた。


以前、このブログでも「お花茶屋の高射砲」のことを記事にした。


この物語にも高射砲のことが触れられていた。


「あれは、お花茶屋の高射砲が当てたんだってね」
(中略)
「乗組員は全員死亡だったよね」
(中略)
「全部で十一人。高射砲陣地のそばの火葬場で火葬してやったんだ」

四つ木の斎場だろう。


かなりリアルな話だ。話の中には、四つ木にも高射砲陣地あったと書かれている。興味深い。


物語は平成まで続いてくが、興味のある方は葛飾区図書館でも借りられる。




2016年9月1日木曜日

[大人の亀有] 夏の終わりに、モダンで上質な寿司を食べる。亀有「鮨なかや」


今回は、亀有「鮨なかや」です。



暑い夏のまっただ中、なかなか生ものを食べたいという気持ちが起きませんが、「ここなら大丈夫」というお店を押さえておけば、安心して食べれますね。


「鮨なかや」は、亀有駅からあるいて10分ぐらい。


駅前からゆーろーどを直進した江北橋通り沿いにあります。



お店に暖簾はありません。


はじめは戸惑いましたが、次第に慣れてきます。


無駄のないシンプルな佇まいが、お店の性格を表しています。


お店に入ると10名程度座れるなが~いカウンターとテーブルが数席あります。


今回は、人数が多かったこともあり予約をしたため、上にぎりをお願いしました。


ランチ時の座席予約は、ランチにぎりではなく上にぎり以上となります。


カウンターに座れれば、板前さんと話しながら、ひとつづ握ってもらえますが、テーブル席の場合には二回に分けて運ばれてきます。



まずはひと皿目。


いづれも「醤油をつけずにお召し上がりください」とのこと。


私はいつも醤油をちょこっとだけしかつけない派なのだけど、この上にぎりには薄めの醤油がうっすらと塗ってあります。


素材と握りに自信がある証拠なのでしょう。


みるからに宝石箱のようなお寿司です。


実際に、ほたてもマグロもイカも、いずれもとてもおいしい。


一口ごとに魅了されます。



二皿目。


あなごとえび、巻物や軍艦が中心。


握りと巻物では、シャリの具合が変わってくるので、飽きないようになっています。


中央にあるのは、水なすの握り。


これが憎いぐらい、いいアクセントになっています。


いいセンスです。



デザートに黒糖ゼリー。


きなこがまぶされていました。


お寿司の個数は少なくないのですが、量の割には重さを感じさせない絶妙なお寿司でした。



鮨なかや
ジャンル:寿司屋
アクセス:JR常磐線亀有駅南口 徒歩6分
住所:〒125-0061 東京都葛飾区亀有2-61-4(地図

周辺のお店のネット予約:
魚民 亀有北口駅前店のコース一覧
海桜鮪と海の生ハム 脇口屋 綾瀬店のコース一覧
炭火焼肉ひばち 本店のコース一覧
周辺のお店:ぐるなびぐるなび 亀有・青砥×寿司
情報掲載日:2016年9月3日
鮨 なかや寿司 / 亀有駅
昼総合点★★★★★ 5.0